ピアノ

子どもがピアノ大好きだそうで、保育園にピアノがあり弾いてくれる先生がいて好きなだけピアノに触っていても見守ってくれている状況に感謝する日々。自宅にアップライトピアノなんて置けないことを考えると、保育園でピアノに触れられるのはとてもありがたい環境です。

そういえば、大垣駅で駅ピアノを弾いていたときに「うるさw」って聞こえてきたときのことを時々考える。大垣駅の駅ピアノはどういう主旨で置かれているんだろう、公共の場所における音の感じ方やそれに対する態度ってどういうものなんだろう。直接ではなく後ろでぼそっと「うるさw」って言うのはちょっと意地悪じゃないですかというのはちょっと思うwwんだけど、その時は私も上手に弾こうとかではなくただ楽しくピアノを触っていただけだったので、耳障りだと言われてもまあしょうがないかなという気持ちでもあった。
じゃあ、どれくらいのレベルからなら弾いていいのか? 小さな子どもが「ピアノ触りたい!」って言って適当に鍵盤を叩くのもだめ? それは子どもだから許される? ちなみに私は適当に楽しく触っていただけとはいえ、私は片手で簡単な曲を弾きつつ膝の上の子どもは好きな鍵盤を触りつつ、という感じだった。
なぜうるさいと思ったのかな? そしてなぜ遠くでぼそっと「うるさい」と言ったのかな? もしかしたら、大きな音を苦手とする人が思わず口に出したのかもしれない。そうだとしたらただの不幸な偶然だ。
もしこうだったら一番残念だな、と思うのは、駅ピアノや空港ピアノのような公共の場所に置いてあるピアノは、上手に弾ける人だけが弾くべきという気持ちが多くの人にうっすらとあるのではないかということ。正直なところ、かつて私もそんな気持ちを抱いていて、駅ピアノに触るのはハードルが高かった。ところがある日ツイッターを見ていたら「普段からピアノに触れられる人は少ない。駅ピアノや空港ピアノは、そういった人がピアノに触れられる機会を作るための存在でもあるべき」という意見を見て、駅ピアノに触る勇気が湧いた。とはいっても、ピアノの練習ができるところ(地域センターの電子ピアノが置いてある部屋とか)を探して、ある程度弾けるようになってから弾きに行った。はじめは広い場所でピアノが弾けて清々しい気分になったのだが、何度か弾いているうちにもやもやした気持ちを覚えるようになった。結局自分も自分で設定した、このレベル以上弾ければ駅ピアノを弾いてもいいというハードルを越えただけではないか? 私が駅ピアノを触る勇気を持つきっかけとなったツイートの主旨には達していないのではないか?
自分の心に対して恥ずかしい振る舞いをしていると思った。そこで、それまでは必ず確実に弾ける曲だけを弾いていたのをやめて、適当に耳コピしたRushEをものすごく簡単にして弾いてみたりした。「おっインターネットで流行っている曲を弾いている人がいる」と思ってくれる人がいてくれたら面白いなと思って。知名度が低いけどちゃんと弾ける曲よりも、ピアノやクラシックに馴染みがない人にも知名度がある曲を弾いた方が、みんなが駅ピアノに触れるハードルが下がるかなと思って。一本指でしか弾けないけど、猫ふんじゃったしか弾けないけど、という人に、ピアノに触れてほしいなと思って。そうだ、私は駅ピアノに触れるハードルがもっと下がってほしかったんだ!

少し話は変わるけど、自分の子どもにはダンスか音楽は一度習ってみてほしいと思っている。ダンスと音楽は世界共通の言語だと信じているから。言葉が分からなくても一緒に踊れる。演奏できる。もっと言うと、色んな文化があることを知ることができれば、自分と違う人を尊重する心を育むことができる。そう信じているから。

だからね、tiktokで踊ってる人がたくさんいるのはとてもいいことだなと思っているんですよ! ダンスへのハードルが下がっているよね。たぶん「かわいい子しか動画上げちゃダメ」みたいなルッキズムとかエイジズムとかはまだ払拭されてないかもしれないけど(いや、私が知らないだけで若者の間ではそんなことないのかも?)
上手いとか下手とか気にせず、踊ったり歌ったり演奏したりしてほしい、みんな。それは平和への第一歩だ!